「誰かがしている、その誰か」

私は前職で地方新聞社に勤務していました。
新卒で入社し配属されたのは取材記者が書いた原稿と通信社の配信記事を紙面に組み上げる整理部でした。
7年ほど所属しました。

新聞社を退職して葬祭業に転職する際に上京。
今でも「師」と仰ぐ方に会いにいきました。
自分の進路についてお話しすると「葬儀社はやめとけ」とアドバイスを受けました。
当時、僕の中では「葬送でお困りの方をサポートしたい」という使命感に燃えていました。
なので、少し拍子抜けしたのを覚えています。

その方に以下のように教わりました。
私が葬儀の仕事をする上で、ずっと肝に銘じていることです。

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利潤追求を旨とする葬儀業者の手に委ねられた葬送儀礼に、たとえ文化的要素があったとしても、それを民族や国民の文化的遺産や伝統として、継承していく価値があるとは私は評価できない。

文化や伝承というものは、国民一人一人の精神や価値観の中に、また地域社会の中に生きる人々の生活の中に、生き続けてこそ価値を見いだせるのである。

葬送に儀礼が伴うことは当然だが、利潤を生む儀礼のために葬儀を行うのではない。
一人の人間がこの世から去って行った時、生物体としての遺骸をどう処理するか。
帰属していた家族や地域などからの離脱の後始末をどうするのか。
それと同時に、身近な者の死による悲嘆を癒すグリーフワークをどうするか。
これらの課題に対処するのが一連の葬送儀礼である。
葬送儀礼は、これらの課題を解決する方法、手段であって、利潤追求の目的のためではない。

ヒトが生きて死んでいくという、当たり前のことを当たり前に、そして人間の尊厳や人権の問題として受け止めていかなければならない。

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あれから10年が経過しました。
勿論、今も葬儀のお打ち合わせ後や1日の終わりなど、事あるごとに「きちんと教えを守れていたかな?」と振り返っています。

葬祭業に従事して社会の色んなことを知りました。
事件や事故などニュースとして取り扱っていた仕事から、「誰かがしている、その誰か」に自分自身がなりました。

そう意味でも葬送の仕事を通して貴重な経験をさせていただいております。
これからも今まで以上に頑張っていきたいと思います。

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