家族葬エピソード108:「少しは親孝行できたかな」
故人様は生前、終活をされていたそうで、ご遺影写真を何年も前から自ら用意されていた90代の女性でした。
「家族と親戚だけでゆっくり見送ってあげたい」
とご遺族様のご意向で、ご親族様が集まりやすい式場をご利用いただきました。
施設で元気に過ごされていた故人様は、お亡くなりになる1ヶ月程前に急に倒れられ入院されたそうです。
息子様お二人は県外より何度もご実家に帰ってこられ故人様のお側にいらしたとおうかがいしました。
式場で準備をさせていただいていた私の元へ息子様は来られ、花祭壇が出来上がっていく様子をご覧になりながら、ポツリ、ポツリとお母様との思い出をたくさんお話ししてくださいました。
倒れられてから『あと数日』と医師に言われていた故人様...
1ヶ月もの間、意識がない中でお側にいらした息子様は
「意識がない母の手をマッサージしてあげたらね...手を動かすんですよ...」
と、再現するように手を動かし、その時の様子を思い出して声を詰まらせ涙を溢されました。
お母様を思うとても優しい息子様のお気持ちを思うと胸が痛みました。
「昭和を生き抜いた女性は強い、と聞きます。側に居てくれたからお母様はこの1ヶ月頑張ってこられたんですね、きっと」
と声を掛けると、
「そうだよね。うん、うん」
と溢れ出る涙を何度も手で拭われました。
故人様が施設にいた際、毎週金曜日にパンの移動販売が来ていたそうで、パンが大好きだった故人様は
「パンが食べたい」
と息子様に漏らしていたとのこと。
施設の方にお金を預けていたそうですが、故人様は施設の方からもらうのを嫌がり
「こっそりパン代のお小遣いをあげたら喜んでね」
と思い出すように微笑まれました。
「入院するまではご飯もおやつもよく食べててね、入院してから食べられてなかったから...少しは親孝行できたかな」
と想いを巡らせ、目を潤ませながら祭壇の遺影写真を見つめられました。
とても親思いの愛情深い息子様。
ただお話しを聞くことしかできなかった私ですが、少しでもお気持ちが和らいでいただけたらという思いで寄り添っておりました。
ご納棺を済ませ、式場に移動した故人様のお柩のそばで、
「この歌が特に好きでね」
と、ご自宅からお持ちになったラジカセとカセットテープをセットして式場内に流させていただきました。
そして、お柩に入れてあげたい物等も用意されており、故人様の側にお供えさせていただきました。
みなさまはそれぞれの想いで故人様との思い出を語りながらゆっくりお過ごしになっておられました。
開式の30分程前に、喪主様が私の元に駆け寄り
「挨拶これでいいかな?」
と、お式の最後に述べられるご挨拶の文をご自身で準備されたメモ紙を見せてくださいました。
しっかりされた方だなと感銘を受けつつ、私を頼ってくれたことがとてもありがたく、嬉しく思いました。
お式の間、時折静かに涙されていた喪主様ですが、ご挨拶の際は気丈にしっかりと皆様へ感謝を伝えられました。
お別れの時間では、故人様がお好きだった曲をかけさせていただき、
祭壇のたくさんのお花とともに、四国八十八ヶ所お遍路の旅で集められたという御朱印帳や写経された紙、
お好きだったパンやお菓子、思い出の写真をたくさんお柩から溢れんばかりに手向けられ、故人様を悼み、感謝を伝えられながら別れを惜しまれました。
最後は故人様の安らかな旅立ちを願い、みなさまで手を合わせられご出棺となりました。
火葬場での收骨後、火葬場からみなさまが帰られるのを見送らせていただいた際、ご遺族様をはじめご親族の皆様がとても満足していたとうかがい
「本当にお世話になりました」
と声を掛けてくださいました。
ホッと安堵すると同時に、ご満足いただけるお手伝いができたことに大変嬉しく思いました。
強く、たくましく、明るく生きてこられた故人様のお人柄を窺い知ることができ、ご遺族・ご親族様のあたたかい想いに触れ、とても心に残るお見送りでございました。
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